感想と覚書「超バカの壁」その1

      2019/09/08

養老孟司氏にはまってしまいました。

「超バカの壁」養老孟司/著 2006.1刊 新潮社

少し古いですがまた目から鱗の本でした

目次

1若者の問題

2自分の問題

3テロの問題

4男女の問題

5子供の問題

6戦争責任の問題

7靖国の問題

8金の問題

9心の問題

10人間関係の問題

11システムの問題

12本気の問題

最初に感想を

「超バカの壁」の前作「バカの壁」も読みましたが、

養老さんの言いたいことを簡単にまとめると

【問題は色々あるけど世の中そんなに単純じゃないんだよ。悩んでいいんだよ。

でも自分はこうだと決めつけずに他人や社会を知ろうとする姿勢が大事だよ。】

ということかな?と解釈をしています。

養老さんはもともと地頭(じあたま)がいい人で、職業も国家公務員(東京大学医学部教授)なので

生まれ持ってる資質が違うし、職場環境も違います。環境だけ見ると恵まれていると言えます。

なので、もともと持っている人が上から目線で何を言ってるんだと思われる人もいるかもしれません。

ただ、解剖という人間を扱う仕事に携わり、国のトップの教育機関に長年いたことで

培われてきたノウハウや経験をされた方なので、養老さんから出る言葉や解釈は

厳しい体験や深い考察の中で紡ぎ出された物だということがわかります。

こちらを納得させるエネルギーがあります。

私的には9、心の問題 10、人間関係の問題は、私の生活の中で

大きなウエイトを占めているので特に心に残る言葉ばかりでした。

厳しい経験をしてきた人にはそれだけ思いや言葉に重みがあります。

以下からは本の内容を少しだけ書き写したしたものです。

(私のまとめであって、本の内容をそのまま書き写してはいません)

1若者の問題

合うとか合わないより、大切なのは引き受けたら半端仕事をしてはいけない。

それをやっていくうちに自分の考えが変わっていく自分自身が育っていく。

給料は社会にもらう 会社が自分にあった仕事をくれるわけではない。会社は全体として社会の中の穴を埋めている。その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴が見つかる。

世襲のすすめ  地盤看板が必要な職業は世襲にならざるをえない。

2自分の問題

日本では「私」は「家」であり、今でもその名残がある。

その「私」という言葉に明治以降は西洋の「個人」という意味も加えてしまった。それで混乱が生じてしまった。

日本人が「自分とは何か」ということで悩む必要はない。仏教は「無我」の必要性を説いてきた。

自分がどうだということを考えるより他のことを考えるほうがいい。

3テロの問題

大切なのは予防 多くの人が一元論にはまらなければ極端な方向へは向かわない。

相手の考えを変えてしまえと反応し、攻撃するとテロの応酬になる。

4男女の問題

男女の違いは性染色体による。女性がXX染色体、男性がXY染色体で構成されている。

男性はもともと女性をホルモン作用でいじって作ったものである。

そのため男性は極端な人ができる可能性が高い、逆に女性はまとまり安定型になりやすい。

女は頑固だと言われるのは安定性を低く評価されているから。

安定はあくまで個体としてのものなので社会性が低いとも思われる。

しかし、男性の極端さにも限界がある。どうせ中心に戻ってくるなら

それが社会の安定平衡(へいこう)点になる。

人間の常識の分布の真ん中に女の人がおさまっている。

5子供の問題

子供問題の原則は子供中心で考える。要は子供のことを本気で考えろということ。

子供は意識中心の社会の中では無意識の存在である。

自然そのものである。しかし意識中心の社会の考えでは

自然それ自体に価値があるという考えは消えてしまう。

自然保護に異を唱える人は少ない。自然をこんなに壊すことはないだろうと思うのと

同じで子供をこんなに無視することはないだろうと思うべき。

大事にされていることと甘やかされていることを混同してはいけない。

電車の中の迷惑な子供を放置することと大事にすることを一緒にしてしまっている。

 

子供には手入れ 自然相手の仕事は先行きが見えない。手入れを上手くするためには

根気が必要である。相手の存在を認めなければならない。

 

その2に続く

 

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