中原宿手前から田代宿本陣まで【長崎街道23】

      2019/06/08

村田南の交差点に案内があります。

そのまま真っすぐ進みます。

村田公民館の横を進みます。

村田宿の六地蔵があります。

鳥栖市一本松の交差点に出ます。

ゴルフ場の方へ真っすぐに進みます。

ゴルフネットのトンネルを抜けます。

安良(やすろう)宿に到着

広い道路に出ます。

鳥栖西中学校南の交差点の方へ

分かれ道で左へ

今にも剥がれそうな街道の案内

二本黒木北の交差点に出ます。

向かい側に渡ります。

少し進んでまた34号線の道路を渡ります。

薬師川の橋を渡ります。

途中で左に曲がります。

轟木宿の人馬置床(じんばおきどこ)

人足や馬を用立てる施設です。

隣に説明板がありました。

置床の西裏には最近まで人足の手足や馬を洗うための

人馬堀(じんばぼり)が残っていたらしいです。

ここも開発が進んで歴史遺構がどんどんなくなっているんだな~

悲しい。

制札(高札)場 馬の駄賃や人足賃が告示されていたそう。

轟木宿 日子神社 肥前鳥居があります。

神社内には石橋が

轟木番所は他の領との行き来を禁じる二重鎖国体制をとっていた

鍋島藩が警戒して設けたとされていますが本当の理由は

わかっていません。

ここから東が対馬藩領・田代宿、西が鍋島藩領・轟木宿

姿見の池と腰掛の石

あまりきれいな池ではありません

腰掛の石はこれかな?

佐賀はエビス様がいたるところにあります。

突き当りを左へ

秋葉神社

吉竹家住宅 油屋をしていたそう。

松本家住宅 酒屋だったそうです。

古賀家住宅 代官所役人をしていたそうです。

本町の交差点をまっすぐ進みます。

長崎屋 配置売薬業をしていたそうです。

江戸時代この地を代表する職業だった配置売薬業。

田代領が対馬藩だったため朝鮮から様々な輸入品がもたらされた

ことから盛んになったとされます。

本町北の交差点をまっすぐ。

八坂神社

古野町交差点を右へ

鳥栖高南の交差点をまっすぐ進みます。

この周辺は三角屋村(みすみやむら)と呼ばれていたそうです。

左に曲がります。田代宿方面へ。

久光製薬 堤駐車場から右に曲がります。

鳥栖にはサロンパスで有名な久光製薬の本社があります。

田代の配置売薬業をしていた小松屋が久光製薬へと

拡大していきました。

田代外町の追分石

左くるめ(久留米へ) 右さか(轟木宿へ)と彫られています。

エビス様

田代宿本陣に到着

近くには久光製薬研修センターがあります。

 

終わり

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