では本日は官兵衛ゆかりの地、福岡を巡ります。
東長寺(黒田家二代目、三代目、八代目の菩提寺)
大博通りにある東長寺に向かいます。
この【東長寺】は福岡藩二代藩主・忠之(官兵衛の孫ですね)、
三代藩主・光之、八代藩主・治高の墓があります。
崇福寺
すぐ近くの地下鉄祇園駅から乗換えて千代県庁口で下車し【崇福寺】へ。
ここは黒田家の菩提寺として黒田家の庇護を受けました。
山門は福岡城の表御門を移築したものらしいです。
この寺【福岡藩主黒田家墓所】もあり、
藩祖・黒田官兵衛、初代・長政、四代・綱政、
六台・継高、七代・治之、九代・斉隆などが
祀られています。
黒田家が福岡県民から愛されていることが
伝わってきます。
再び、地下鉄千代県庁口から天神を過ぎて赤坂駅で下車します。
福岡城
少し歩いて、【福岡城】に到着です。
初代・長政が1601年から7年がかりで築城したといわれます。
平山城で、天守も始めはあったと言われていますが、
太平の世となって将軍家に遠慮して取り壊したとも言われています。
↑天守跡
同時期、関ヶ原では徳川に加担していた豊臣恩顧の大名が
取りつぶし等の憂き目にあいました。
初代・長政はそうした歴史の動きに敏感に反応し、
黒田家を守ろうとしたのかもしれません。
天守跡は現在展望台になっています。
↑黒田如水御鷹屋敷跡
福岡城周辺には隠居後の官兵衛が過ごした御鷹屋敷跡の碑があります。
そのほかにも重要文化財の多門櫓、母里太兵衛邸長屋跡があります。
光雲神社(官兵衛と長政を祀った神社)
福岡城址から北西の方向にまた歩きますが【光雲神社】があります。
福岡藩祖・黒田官兵衛と初代・黒田長政を祀った神社です。
神社の名前は二人の法名から一字ずつ取って付けられたと言われます。
境内には
『酒は呑め呑め呑むならば~』という
「黒田節」のモデルになった母里太兵衛(黒田家家臣)の銅像があります。
右手には福島正則から呑み取った「日本号」、左手には大きな盃をもっています。
博多駅にも同じように黒田節の像がありますが、
どこにも黒田官兵衛の銅像がありません。
長政の銅像もありません。
大河ドラマになったときに作ってほしかったのですが・・・
余談ですが御賽銭を入れるとツルが鳴きます。
福岡市博物館
今回の旅、最終地は福岡市博物館です。
この時は特別展示で黒田家の宝物が多数展示されていました。
先に述べた「日本号」、官兵衛が織田信長から与えられた「へし切長谷部」、
北条氏から贈られた「日光一文字」、官兵衛所用といわれる「黒糸威胴丸具足」
など、貴重な資料を見ることができ大満足しました。
直筆の書状も多数あります。展示の時期は事前に確認してください。
官兵衛と長政の博多人形
「そのとき、おぬしの左手は何をしていた?」
終わり