日見峠まで 【長崎街道2】

長崎街道

蛍茶屋からは日見峠までずっと登りです。途中は長崎市からベッドタウンである東長崎地区へ続く国道が通っているので車がびゅんびゅん通り過ぎます。

日見峠へ向かう途中には新日見トンネルと日見トンネルの新旧2本のトンネルがあります。

それができる大正時代までずっと山の上まで登って行っていた昔の人おつかれさまでした。当時の日見峠は旧トンネル(日見トンネル)の西トンネル口から登ります。

長崎街道 (29) - コピー

 

右の歩道橋へ

日見峠への道の案内板の右の道を行きます

ここから一気に傾斜がきつくなります。

新茶屋の跡

藤棚の下にあります。

どんどん登って行きます。きつい。

途中に石碑がありました。

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「日見峠路」と書いてあります。

頂上まだ~?

ずっと登って行くと自動車の通る広い道に出ます。

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日見峠の案内板と新茶屋の跡の石碑

赤で示した道が本来の道のようですが、今はなくなっています。

今回は緑で示された道(迂回・散策ルート)を歩きます。

ちなみに赤で示された道を登ってみると

やはり途中で道がなくなってました。

また分かれ道に戻って

左に行きます。

少し進むと日見新道と街道(迂回・散策ルート)の分かれ道に出ます。

今回は左の迂回ルートへ

途中に鳥居があります。

道はあまり整備されていません。

街道沿いには松が植えてあります。

やっと頂上!

ここまでの登り坂は大変きついです。

登る方は体調万全にして、飲み物も準備して行きましょう。

頂上まできたら右へ

ここからは一気に下ります。脚がガクガクです。

下りはあまり道が舗装されていないのでさらに危険です。

日見峠関所跡

途中で日見新道と合流します。

右が今歩いてきた迂回ルート、左が新道。

これが日見新道の道。

峠を33メートル切り下げて作られた道だそうです。

約1年間かけ明治15年に開通。

工事に莫大なお金がかかり、通行料を取ることになります。

日本の有料道路の始まりと言われているそうです。

長崎って昔から坂が多くて大変だったんだな。

大陸に近くて海に面していて貿易しやすいけど、

江戸幕府、こんな平地の少ない土地を貿易の拠点に選ぶとは・・・

確かに中央(江戸)から遠くて攻められにくいけど、行き来しにくいんじゃない?

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