今回はついに冷水峠(ひやみずとうげ)に入ります。
冷水峠は長崎街道で一番の難所とも言われています。
一方では近代化されていない、当時の様子をそのまま残す道とも
言われていて味わいのある道でもあります。
いつも旦那様から聞かされていた冷水峠っていったいどんな所なのか
不安と期待の入り混じる気持ちで出発です。
西鉄バス 「浦の下」バス停から出発!
脇道にそれらしい道があったのですが・・
九州北部豪雨(平成29年7月)の影響からか道が崩れています。
冷水道路の下を通ります。
車も人も全く通らないので静かです。
真っすぐ進みます。
冷水トンネルの横を通ります。
途中に街道の案内板があります。
その案内板の方へ行きます。
電線が垂れ下がっていてとても危険!
感電するじゃないか!
道路に出ますがすぐに山の方へ
街道らしい山道と思いきや・・
ここも豪雨の影響で崩れまくっていました(泣)
危険なので車の通る道路まで戻って進みました。
この道は歩道が狭く、歩道の手入れもしていないため
歩きにくいし、大きなトラックが頻繁に通るのでとても怖いです。
先ほどの山道を通っていたらここに出たと思われます。
歩道が全然ない!歩くの怖い!
やっと民家が見えてきました。
左の道に入ります。
猿田彦の石碑
先ほどの道に戻ります。
少し進んでまたまた左の脇道へ
草が生い茂っていて道が無くなっていました。
元の車道に戻ります。
無くなった道を進むと、たぶんここから出てきたはず。
案内板もこんな様子。
行政も街道をお世話してくれる地域の方もいないのかな。
悲しいです。
右の車道の方を進みます。
さあついに冷水峠に入ります。
山登りにもいい道。
それらしい道になってきました。
少し歩いていると広いスペースがあります。
郡境石「従是東穂波郡」
ここに大根地神社に登る階段があります。
今回は街道の方へ進みます。
ここも被害が
土が流れたような跡が・・・危険です。
石畳の道が続きます。
一里塚
地蔵堂が見えてきました。
イギリス初代駐日公使オールコックが絶賛した自然の風景があります。
江戸時代から続く風情ある道を見て、だんだんと感慨に浸ってきました。
シーボルトやオールコックも通ったとされる石橋
旅人はこのあたりで休憩をとったのでしょう。
近くを流れる川は水がきれいでした。
首無し地蔵
民家が見えてきました。
あ~あ、すぐに現実に戻されます。
下りきったところに大根地神社の鳥居がありました。
峠越え終了。お疲れさまでした。
冷水峠、楽しかった~。アスファルトで固められた道ではなく、当時のままの姿なので
江戸時代の人と同じ道を歩いているんだな~と
400年前の時代に思いを馳せながら土を踏みしめていました。
冷水峠は長崎街道最大の難所と言われていますが、雰囲気を楽しみながら歩くことができました。
傾斜もゆるやかで、人の手が入っているのか雑草などもなく歩きやすかったです。
長崎市の「日見峠」の方が私にはきつかったように思います。
こちらは坂の高低差が大きく、手入れされていない箇所もあってなかなか現代人には
厳しい印象です。
しかし、どちらも人影がなく一人で歩くのはけっこう怖いです。
いのししなどの野生動物が出てきそうな道です。