第6章 絆には良し悪しがある
親子の関係で「子どもの世話にならない」という考えの人はいるが、それは「子どもの世話をしない」ということの裏返しとも捉えられかねない危険性がある。
人間関係の手抜きをしていることになるのではないか。
集団とは煩わしいもの。慰安旅行がストレスになることもある。
しかし現代日本は集団へ反発し「個」を立てる方向に行こうとして、社会の絆を解体する方向に向かってしまった。欧米では「絆」を維持する役割を教会が担っていた。
日本では会社がそのような役割を担っていたが、会社に成果主義が出てきてしまった。欧米式の成果主義には無理がある。
日本は「ムラ社会」が残っていて、「ムラ」では切り捨ててもどこかで顔を合わせないとならない。
日本は欧米とは文化の土台が違う。メンバー全員が有能であることはありえない、できない人が混じっていることを認めないといけない。
不信は高くつく。現在は何でも契約書を交わさないといけなくなっている。
「絆」の大切さを考えるときには、実はそのほうが現実的には楽でコストがかからないということがある。
第7章 政治は現実を動かさない
「国家」のような大きなものが簡単に動くとは思わないほうがいい。
「自分」より先に「世間」があった。そこに後からお邪魔したわけだから、自分の都合で変えようとしてもそれは無理である。
第8章 「自分」以外の存在を意識する
「一人称の死」・・・自分の死
「二人称の死」・・・身内や友人など知っている人の死
「三人称の死」・・・知らない人の死
一人称の死も三人称の死も自分には関係のない死だと言える。
「一人称の死が大したことではない」というと若い人は誤解をするかもしれない。
「死刑にしてほしいから人を大量に殺す」という思考の人まで出てきた。
そこで意味を持っていたのが昔の道徳、例えば「親孝行」。
人間が最初に付き合う自分以外の人間は「親」であり、
その「親」を徹底的に大切にしろという教えはどういうことか。
つまり「お前はお前だけのものじゃないよ」ということ。
また、自然に触れて「自分の意識では処理しきれないものがこの世にはたくさんある」ことを体感する必要がある。
第9章 あふれる情報に左右されないために
インターネットの普及で意識だけが肥大し現実から離れていってしまう。
「地に足をつけなさい」「現実をちゃんと見なさい」と昔の人はよく言った。
世間がきちんとしている時代ならば世間と向き合えば現実を見ることになったかもしれない
しかし今はその世間自体が怪しくなっている。
だとすると人間が意識的に作らなかったものと向き合えばいい。
自然に触れ合うことから始めればいい。
第10章 自信は「自分」で育てるもの
目の前に問題が発生したときにそこから逃げると楽かもしれない。
しかしそうやって回避してもまたその手の問題にぶつかって、立ち往生してしまうものである。
正面から問題にぶつかった人はかなりの面倒やストレスを背負いこんでしまうから損をしているように思えても、後々それが活きてくる。
「そこまでやらなくていい」状況を背負いこむことも、また仕事である。
身体的な問題は別として、人間関係や仕事などの「世間」の問題というのは、どこかで自分がこれまでやってきたことのツケである場合が多い。
「状況を背負いこむ」と言うと不安になるかもしれない。
会社の犠牲、家族の犠牲になってしまうのではないか、割りを食うのではないか、報われないのではないか、確かにそういう危険性はある。ここで重要なのは、自分がどこまで飲み込むことができるのかを知っておくこと。つまり自分の「胃袋」の強さを知っておかなくてはいけない。
学校教育は標準を決めて優劣を決めることはできても、他人と関わって自分がどの程度まで飲み込むことができるかを学ぶことは難しい。
自分がどこまでできるかできないか。それに迷いが生じるのは当然である。
社会で生きるとはそのように迷うということ。
なにかにぶつかり、迷い、挑戦するし、失敗し、ということを繰り返して、どの程度の負担ならば「胃袋」が無事なのかを知る。
そうやって自分で育ててきた感覚のことを「自信」という。
感想
養老さんの本はこれまで”もやっ”としていた考えを明確にさせてくれます。
「自分は何者か」という難しい問題に「個性なんて黙ってても出てくるよ」と養老おじさんは言ってます。
そしていつもだらだら過ごしていている私は養老おじさんから「喝っ!」と言われてるような気がしました。
私が生まれる以前から続く日本人の良き価値観に気づかされることが多かったです。
若い頃はまず他人の意見を受け入れてみること、
自分のことよりも周り(世間)のことを知り尊重することが大事。
そこで折り合いのつかない(納得できない)部分がでてきたら「自分」を出して思いを伝える。
社会(仕事や学校)もそうで、自分のことしか考えていない人には周りからいい顔はされません。
自分のことを考える前に「他人」や自分の意識外のことをまず考えるようにしなければならないということですよね。
私も若い頃はできないことが多すぎて、周りに反発したり
自分のことしか考えてない言動も良くしてました。
そして周りから冷たい反応を受けることも経験しました。
そうやって周りの反応を勉強していき、周りを尊重するか、自分の思いを突き通すか、
どちらがベストなのかを自分の中で見つけていくことが、社会経験なのかと思います。
そして、どうしても自分の考えを伝える必要があると判断した場合
自分の「胃袋」に聞いて、挑戦していくことが大事だと思っています。
ただ、今でも挑戦して「胃潰瘍」状態になることがあるのですが・・・
終わり