スマホや持ち運びできるパソコンを持っていないので、長時間外出する時は
時間があれば本を持って行って読みます。
今回読んだ本は
「「自分」の壁」養老孟司/著 2014.6刊 新潮社
です。以下、目次と内容です。
第1章「自分」は矢印に過ぎない
第2章 本当の自分は最後に残る
第3章 私の体は私だけのものではない
第4章 エネルギー問題は自分自身の問題
第5章 日本のシステムは生きている
第6章 絆には良し悪しがある
第7章 政治は現実を動かさない
第8章 「自分」以外の存在を意識する
第9章 あふれる情報に左右されないために
第10章 自信は「自分」で育てるもの
第1章「自分」は矢印に過ぎない
戦後日本人は「自分」を重要視する傾向が強くなった。教育現場や職場でも「個性」を求められることが多くなった。「個性」は発揮せよと言われる類のものではなく、周囲が押さえてつけてもその人に残っているもの。
この世で生きていくために大切なのは「人といかに違うか」ではなくて、人と同じところを探すこと。
日本の大学生はアメリカの大学生と比較して「自己」や「個性」がないという批判がある。しかし日本人がそういう性質で、そういうものを強く求めない文化が日本にあるからだと考えたらどうだろうか。
日本において「自分」を立てることはそう重要には思わない。
「個性を伸ばせ」という教育より、世間と折り合うことの大切さを教えたほうがはるかにましではないか。
第2章 本当の自分は最後に残る
「個性」を強調することはないと言うと「人の顔色をうかがってばかりの人間になる」という人がいる。
だが世間につぶされそうになってもつぶれないものが「個性」であるから心配ない。
欧米では宗教観が強く思想や行動もそれに影響される。日本は強い宗教観の人は少なく思想が自由である特徴がある。
「顔色を読む」という表現のように日本人は世間や他人に気を使いながら生きているが、思想は自由でありそのような中で世間と折り合いのつかない自分こそが「本当の自分」である。
第3章 私の体は私だけのものではない
人の体にはとんでもない数の菌がいる。それなのにエスカレーターのベルトには「除菌」の文字がある。人間自身が菌と共生しているのに。
共生は本来の自然の姿である。そう考えると「個性」を持って生きることが生物の本来の姿からかけ離れているのは明らか。
第4章 エネルギー問題は自分自身の問題
原発がいい悪い、太陽光発電がいいとは言うことができない。核燃料の後始末という部分を考えると太陽光がましかもしれないが、太陽光発電のパネルにどれだけ貴重なレアメタルを使っているのかは企業秘密でわからない。
エネルギー問題は長期的な視点が必要である。年金などといった問題は30年を目安に考えればいいが、エネルギーについては今やっていることが100年、200年先の未来まで影響が出てくることもありうる。
現在の衆議院・参議院の仕組みでは長期的な議論ができない。
参議院を国政のアドバイザーのような位置づけにし、議決をせずに意見を送るようにする。
長期的な視点で調査・研究をし、意見をしていると
「参議院の意見は長い目で見れば正しい」と理解されるようになる。
第5章 日本のシステムは生きている
思想は無意識の中にある。思想は一種の理想で、現実に関与してはいけない。
しかし、思想の中にも現実に生かしたほうがいいものもあり、戦後上手に吸い上げ現実化していったのが自民党である。
日本で現実を動かしているのは世間の暗黙のルールである。
しかし、日本ではずっと民衆の力は強かった。一揆が何度も起きていたことからも明らかである。
「臨機応変な人材登用」「変人もまた良し」という寛容性が江戸時代からあった。
開国でそのような社会制度や法律を変えないといけなくなってしまった。
尖閣諸島やTPP問題など日本は近代以降「新しい他人とどうつきあうか」という問題を解決できないでいる。
子どもの自殺については、いじめられた時の対処法について考えるべき。
前提として「世間」は「自分」より先にあると考えた方が楽である。「世間がどういう人で構成されているか関係ないから、いじめられているのは自分のせいではない」と自分に非があると考えずに、世間の都合にした方が気が楽ではないか。
また「自分の一生は自分だけのものだ」という考えが根底にあるから自分で処理しようとする。「君が死んだら周りの人がどれだけ悲しむか」ということを暗黙の内に理解されないといけない。
普段から周囲からの愛情を感じていれば、それだけ死ぬことを思いとどまる力は強くなる。自殺が増えたことと世間のしばりがゆるくなったこと人間関係が希薄になったことは関係がある。
その2に続く