茶々が懐妊し秀吉は多いに喜びますが、
周りもそして秀吉本人も思ったことは
「本当に秀吉の子か?」
ということでした。
関白になった頃には跡継ぎを誰にするか悩んでいたはずでしょう。
秀吉は何人もの女性と関係を持ったはずなのに
子どもは一人もいませんでした。
「捨」(秀吉と茶々の子)が死ぬと
秀吉の甥の秀次も跡継ぎ候補として挙がっています。
茶々の懐妊で秀吉は跡継ぎができとても喜びます。
しかし不安な気持ちが秀吉を狂気へと駆り立てます。
この子を守ろうと必死になるが故、
盲目的な行動を取り始めます。
「捨」の死、秀次の関白就任
朝鮮出兵、茶々の再びの懐妊、そして何より秀吉が
高齢であったということが、秀吉の考えとは
裏腹に豊臣家の弱体化を招いていきます。